LOGIN「それって、どういうことだ?」
俺の問いかけに、エリカはゆっくり頷きながら口を開いた。 「“ふたりきりの時間。誰にも邪魔されない、静かな夜”──これはね、おじいちゃんの記憶にあった言葉。そのまんまの意味だったんだと思うの」 「ああ、それはつまり……お祭りで二人きりだったってこと、だろ?」 エリカは小さく首を振った。 「違うの。人がいっぱいいるお祭りじゃなくて、本当に、誰もいない“二人だけ”の時間。場所も、静かで……そういう、完全にふたりきりの空間だったんじゃないかなって思ったの」 エリカは、さらに言葉を重ねる。 「それから、“空にはたくさんの光があって、やさしく照らしていた”っていうの……これは星空のことであってると思うの。だけどね、“水面にぽつんと灯った小さな明かりが、ゆるゆると流れていた”──ここは、先入観にとらわれすぎてたかも」 「先入観、って……?」 花守さんがそっと聞き返すと、エリカは静かに微笑んだ。 「うん。灯籠流しって思い付いて、たくさんの灯籠が一斉に流れていくお祭りを思い浮かべてたよね? でもね、違うの。おじいちゃんの記憶にあったのは、“たったひとつ”の灯り。ひとつだけの灯籠を、ゆっくり流した……そんな風景だったんじゃないかなって」 俺は確認するように言葉を重ねる。 「つまり──まわりに誰もいない夜、星空の下で、たったひとつの灯籠を、ふたりきりで流していたってこと……?」 エリカは、ぱっと笑顔を咲かせた。 「うん!そういうこと!」 「でもさ、それって……どこでです?」 花守さんが首をかしげると、エリカは「えっとね」と前置きして、少しだけ誇らしげに言った。 「これはね、完全にひらめきなんだけど……家の裏の小さな川じゃないかな?」屋台で食料をしこたま調達した俺たちは、いよいよ祭りのメインイベントである灯籠流しを見るために、川沿いの観覧スポットを探していたのだが。「……見事にはぐれちゃったね」 人混みの中、気づけば俺とエリカの二人だけになっていた。「ああ、そうだな。まぁ……混んでたし、仕方ないな」 二人とはすっかりはぐれてしまっていた。 俺はスマホを取り出してグループチャットを開き、状況を共有しておく。向こうも似たような感じらしく、「あとで合流しよーぜ」と軽いスタンプが返ってきた。「……ってわけで、今夜はふたりっきりみたいだな」「えへへ、なんかちょっと特別っぽいね」 エリカは小さく笑って、俺の腕あたりをちょこんとつつく。 そんな彼女と一緒に川沿いを歩いていると、ちょうど二人分のスペースが空いている場所を見つけた。 ちょっとした木のベンチと、小さな芝の丘。まるで、俺たちのために準備されていたかのように感じた。「ねえ、私ね……灯籠流しのお祭り、初めてなんだ」「俺もだ。実物は……どんな感じなんだろうな」「ねっ、楽しみだね!」 期待に目をきらきらさせるエリカ。そしてしばらくすると── 川の上流から、ゆるやかな光の帯が流れてくるのが見えた。 ひとつ、またひとつ……静かに、ゆっくりと。 揺れる炎の灯を宿した小さな灯籠たちは、水面を滑るようにしてこちらへ近づいてくる。 川面には無数の光がぽつぽつと浮かび、まるで星空が水に映ったようだった。 橙と白、時折ふわりと混じる薄紅色の灯籠。 その光たちは、どこか切なく、やさしく、胸を撫でるように流れていく。「……綺麗だね」 エリカがぽつりとつぶやく。「ああ。ほんとに、綺麗だ」 俺たちは、言葉少なにその光景を見つめていた。「流れていく灯籠には、きっと誰かの願いや祈りが込められてるから、綺麗なんだよね」
夕暮れが沈みかけた空は、ゆるやかに藍へと染まり始めている。河川敷の公園には、ずらりと露店が並んでいた。 焼きそばの香ばしさ、りんご飴の甘い匂い、はしゃぐ子どもたちの声…… 祭りの会場は賑わっていて、綿あめ片手に笑う子、たこ焼きを頬張る子、金魚すくいに夢中な子どもたちの声があちこちから聞こえてくる。 大人たちまで、かたぬきや射的に真剣になってるあたり、もう誰もが童心に帰ってる感じだった。 一年ぶりに体感する祭りの空気に俺は、胸が高鳴り自然と気分が高揚していた。「わあ……すっごい人!」「ほんとねぇ。初めて来たけど、なんだか好きかも、こういう雰囲気」 浴衣姿のエリカと茉莉花が、俺たちの少し前を歩きながら顔を見合わせる。その様子が、やけに絵になっていた。 茉莉花は、深い藍色に白い撫子の花が舞う浴衣を身にまとっていた。涼しげで凛としたその姿は、まるで和のヒロインそのもの。帯の銀鼠が腰元をきゅっと引き締めていて、スタイルの良さが際立っている。165センチのスラリとした体躯が、普段以上に映えて見えるのは、たぶん浴衣のせいだけじゃない。 そしてなにより──今日は、ポニーテールじゃなかった。 黒髪はふわりと柔らかくまとめられていて、すっと覗くうなじが妙に色っぽい。髪の間からこぼれた後れ毛が風に揺れて、頬に触れるたびに、彼女の横顔がほんの少しやわらかく見える。「なあ……幼馴染とはいえ、女子の浴衣姿って、いいもんだなぁ」「そうだな、二人とも客観的に見てもかなり整った顔立ちをしているからな。 俺たち二人が横に並ぶと、完全に引き立て役だな」「んなことねぇだろ! たしかに二人とも美少女だけどよ、俺たちだってそこそこいけてるぜ?」 隣を歩く真司は、濃紺の甚平に腕まくり。日焼けした腕が覗いていて、180センチのがっしり体型にぴったり似合ってる。足元はサンダル。下駄じゃないあたりが、いかにも真司らしい。 それにしても、真司が茉莉花のことを素直に美少女と認めたのは少し以外だった。「ほら、あんたたち、早くきなさいって!」「そうだよ! 灯籠流しが始まる前に、食料調達しなきゃでしょ! 焼きそばと唐揚げとポテトとわたあめと……あっ、あとあと! チョコバナナも!」 前を歩くエリカと茉莉花が、振り返りながら声をかけてくる。「エリカ、それは絶対食べすぎだ」「え
夕方、お祭りに出かける前のことだった。 朝のドタバタが、嘘みたいに静かなアンサンブルの店内。 母さんがエリカの浴衣の着付けをしている間、俺はカウンターでアイスティーを飲みながら待っていた。 「お待たせ~直央」 母さんが声と共に店内に入ってきた、 「エリカちゃん、さあおいで」 「うん……」 母さんに促されて、後からエリカが入ってきた。 俺はその姿をみて、言葉を失くした。 淡い紫陽花模様の浴衣。ほんのりと光を帯びたような藍色に、彼女の金色の髪がふわりと浮かび上がる。高く結い上げられたその髪は、涼やかにうなじを露わにしていて、そこからこぼれる細い後れ毛が、頬にかかってそよぐたび、胸の奥がかすかにざわついた。 白くなめらかな首筋に、浴衣の襟がそっと沿っている。 いつもは見えないその部分がやけに綺麗で、どこか、見てはいけないものを見てしまったような、そんな後ろめたさと、視線を奪われる衝動がせめぎ合う。 「……どう、かな?」 その声が届くまで、俺は呼吸するのも忘れていた。 まるで時間が止まったみたいだった。 家の明かりに照らされたその顔は、いつもの彼女より少しだけ大人びて見えて、でも、それ以上にただ、綺麗で。 ――目が離せなかった。 心臓の音が、自分のものじゃないくらいにうるさい。 「直央くん……?」 不安そうに首をかしげたエリカの声に、ようやく俺は我に返る。 「……あ、す、すまん。なんか……その、なんだ驚いて。 その……似合ってるぞ?」 言葉が、うまく出てこない。 本当は、“綺麗だ”ってちゃんと伝えたかった。 だが、たったそれだけの言葉が、どうしてこんなにも言い出せないんだろうか。 エリカはそんな俺の様子を見て、ちょっと照れたように笑った。 「ふふっ、よかった。……直央くん、変な顔してたから、失敗したかと思ったよ。直央くんも似合ってるよ? 今日は寝癖ちゃんと直してあるね」 俺は、落ち着いた深緑の浴衣を着ていた。 肩幅にほどよく沿った布が、身体に自然に馴染んでいる感じがした。 足元は素朴な下駄だ。歩くたび、カランと控えめな音が響くのが夏を感じさせて気に入っていた。 「ああ、ありがとう。さすがに今日は気を付けたさ」 お互いに照れ臭くなり言葉を失い、二人で見つめ合う。
和音さんの車で送ってもらった俺たちは、へろへろのエリカをなんとか部屋まで運び、そのままベッドに寝かせていた。その、エリカがまさかの“お酒事件”で撃沈した翌朝──「エリカ、起きろ」 いつものように声をかけると、「う~ん、直央くん? おはよ~……」 寝ぼけ声で、目を閉じたまま返事が返ってきた。どうやら頭痛もないみたいで、ひとまず安心した。以前は一口飲んだだけで、ひどい頭痛に襲われてたからな……。 エリカの様子を確認した後、日記を読むように促して、エリカが日課の日記をパラパラめくっていたそのときだ。「あれ?」 彼女首を傾げ声を漏らした後、眉間に皺を寄せながら、白いデジタル時計と、日記を交互に見比べている。「日付とんでる?」 その一言で、ようやく合点がついた。 普段は一日の終わりに日記を書くのだが、昨日は誤ってお酒を口にしてしまったことでそれができなかった。 日記で記憶を補填するエリカにとって、1日分の記憶がまるごとなくなってしまえばそう感じてしまうのも無理はない。「昨日は、うっかりお酒を飲んでしまったんだ。それでそのまま寝てしまったから、昨日の日記は書かれていないんだ」「あちゃ~……だから書いてないんだ、日記……」 エリカは額に手を当てて、大袈裟な“やっちゃった”ポーズを披露する。その仕草にすら、目を奪われ愛しさで胸がいっぱいになる自分自身に内心苦笑いをする。「あれ……でも私、パジャマ着てる……もしかして、直央くんが……?」 自分の姿がパジャマであることに気づいたエリカが、問い詰めるような視線を俺に向けてくる。 彼女が寝ている間に俺が着替えさせたのではないかと思っているようだった。「ち、違う違う!母さんだ! 汗をかいてたから、着替えさせるって……!」 全力で否定すると、エリカはホッとしたように息をつき安心したようだ。 昔は一緒にお風呂にも入ったなかだが、さすがにこの歳にもなればいくら幼馴染みとは身体は
その夜、みんなで四苦八苦して作った葉っぱの船に、小さなロウソクを灯して、川へと流した。 おじいさんは、その光をじっと見つめていた。まるで、亡くなったおばあさんと目を合わせるかのように、ときどき夜空に視線をやっては、何かを噛みしめるように目を細めていた。 ──そして今はというと。 「いや〜直央くんもエリカちゃんも、本当にありがとうな!うちのじいさまのこと、感謝してもしきれんよ!」 豪快に僕の背中をバンバン叩いてくるのは、花守さんのお父さん、花守正志(はなもり・まさし)さんだ。 ……っていうか、めちゃくちゃ豪快。なるほど花守さんのあっけらからんとした性格は父親譲りか? 「もう、あなたったら。羽目を外しすぎです。雨宮さんが困ってるじゃないですか」 そうやって苦笑まじりに声をかけてきたのは、花守さんのお母さんの芳根(よしね)さん。 「む?……そりゃすまん。ずっと琴音がじいさまのことで悩んでいたからな。君たちのおかげで、ようやく吹っ切れて。わしも安心したよ」 「い、いえ……俺たちは、そんな……」 そう言いながら二人の視線の先を見ると、おじいさんと花守さんを優しく見つめる夫婦の姿があった。 「お嬢ちゃん、ありがとなぁ。あんた、死んだばあさんによう似とるわ」 「えっ、そうなの!? 見てみたかったな〜!」 「え、似てないでしょ……そもそも、おばあちゃん黒髪で黒目だったでしょ、全然違うじゃん」 向かいのテーブルでは、エリカと花守さん、それにおじいさんが和気あいあいとおしゃべり中。 「おお、ジュースが空じゃな? ついであげよう」 「ありがと〜、おじいちゃんっ!」 なんだか、すっかり仲良しモードでいい雰囲気だった。 ……だから、油断し
「それって、どういうことだ?」 俺の問いかけに、エリカはゆっくり頷きながら口を開いた。 「“ふたりきりの時間。誰にも邪魔されない、静かな夜”──これはね、おじいちゃんの記憶にあった言葉。そのまんまの意味だったんだと思うの」 「ああ、それはつまり……お祭りで二人きりだったってこと、だろ?」 エリカは小さく首を振った。 「違うの。人がいっぱいいるお祭りじゃなくて、本当に、誰もいない“二人だけ”の時間。場所も、静かで……そういう、完全にふたりきりの空間だったんじゃないかなって思ったの」 エリカは、さらに言葉を重ねる。 「それから、“空にはたくさんの光があって、やさしく照らしていた”っていうの……これは星空のことであってると思うの。だけどね、“水面にぽつんと灯った小さな明かりが、ゆるゆると流れていた”──ここは、先入観にとらわれすぎてたかも」 「先入観、って……?」 花守さんがそっと聞き返すと、エリカは静かに微笑んだ。 「うん。灯籠流しって思い付いて、たくさんの灯籠が一斉に流れていくお祭りを思い浮かべてたよね? でもね、違うの。おじいちゃんの記憶にあったのは、“たったひとつ”の灯り。ひとつだけの灯籠を、ゆっくり流した……そんな風景だったんじゃないかなって」 俺は確認するように言葉を重ねる。 「つまり──まわりに誰もいない夜、星空の下で、たったひとつの灯籠を、ふたりきりで流していたってこと……?」 エリカは、ぱっと笑顔を咲かせた。 「うん!そういうこと!」 「でもさ、それって……どこでです?」 花守さんが首をかしげると、エリカは「えっとね」と前置きして、少しだけ誇らしげに言った。 「これはね、完全にひらめきなんだけど……家の裏の小さな川じゃないかな?」